2010年 11月 28日
「 MONET 」 北九州市立美術館 |
H先生からチケットを頂いたので、ありがたく「モネとジヴェルニーの画家たち」展を観に、北九州へ。
最終日は混雑するので、朝一番に出発して9時半の開館前に到着。すでに大勢の方が列を作っていらっしゃいましたが、皆さんチケット売り場の方に行かれたため、すんなりと入る事ができました。
色づいた紅葉と鉄のオブジェが、近代的な美術館をアートにしています。
ふっくらと大きなお腹のモネ。
広大な庭に、立派な池を作りそこに睡蓮を育てました。
その池には日本の太鼓橋までかかり、ここからあの有名な「睡蓮」の絵が世に出ることとなったとは。
12人も掛けられる大きなダイニングテーブルの周りには、壁にたくさんの浮世絵がズラ~リ。
本当に日本贔屓だった様子が伺えます。
フランス、パリにほど近いジヴェルニー。
大勢の画家がその街を訪ね、たくさんの絵を描き遺しました。
モネもその一人。ジヴェルニーに移り住み、そこを終の棲家としたのですね。
透き通るような繊細な色遣いの睡蓮ばかりが印象的で誰もがモネと言えばその柔らかなタッチを思い浮かべるでしょうが、大胆で色鮮やかな睡蓮もあり、ハッと目を惹きました。
優しそうで穏やかな眼差しのモネ。
画家と言えば生きている間は絵が売れず、つつましやかな暮らしをしているそんな勝手な私のイメージとはかけ離れ、優雅で恵まれたセレブリティーな生活だったようです。
美術館の外では、「十月櫻」が冷たい風に吹かれながら凛と咲いていました。
最終日は混雑するので、朝一番に出発して9時半の開館前に到着。すでに大勢の方が列を作っていらっしゃいましたが、皆さんチケット売り場の方に行かれたため、すんなりと入る事ができました。
色づいた紅葉と鉄のオブジェが、近代的な美術館をアートにしています。
ふっくらと大きなお腹のモネ。
広大な庭に、立派な池を作りそこに睡蓮を育てました。
その池には日本の太鼓橋までかかり、ここからあの有名な「睡蓮」の絵が世に出ることとなったとは。
12人も掛けられる大きなダイニングテーブルの周りには、壁にたくさんの浮世絵がズラ~リ。
本当に日本贔屓だった様子が伺えます。
フランス、パリにほど近いジヴェルニー。
大勢の画家がその街を訪ね、たくさんの絵を描き遺しました。
モネもその一人。ジヴェルニーに移り住み、そこを終の棲家としたのですね。
透き通るような繊細な色遣いの睡蓮ばかりが印象的で誰もがモネと言えばその柔らかなタッチを思い浮かべるでしょうが、大胆で色鮮やかな睡蓮もあり、ハッと目を惹きました。
優しそうで穏やかな眼差しのモネ。
画家と言えば生きている間は絵が売れず、つつましやかな暮らしをしているそんな勝手な私のイメージとはかけ離れ、優雅で恵まれたセレブリティーな生活だったようです。
美術館の外では、「十月櫻」が冷たい風に吹かれながら凛と咲いていました。
by ocean304tm
| 2010-11-28 23:37
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